風立ちぬのラストの意味は?菜穂子の死因と国を滅ぼしたの解釈についても

映画

2013年に公開された宮崎駿監督のジブリ作品「風立ちぬ」。

結末が曖昧なまま終わる作品となっていて、よく分からない部分が多いですよね。

この記事では風立ちぬのラストの意味や最後のセリフ「生きて」の真相、また菜穂子の死因についてもまとめてみました。

風立ちぬのラストの意味は?菜穂子の死の真相や死因についても

風立ちぬのラストははっきりとした結末、菜穂子のその後などについては描かれておらず、「生きて」という言葉を残して終わってしまいますよね。

さらに、現実ではなく夢のシーンに変わったりしているので非常に分かりづらいですよね^^;

ラストシーンの内容やセリフについて解説していきたいと思います。

菜穂子は死んでしまったのか?死因は何?

これは菜穂子は亡くなってしまったと考えるのが自然だと思います。

結核はこの風立ちぬの時代では「不治の病」ともいわれ、治療法がありませんでした。

菜穂子が山に帰ったのは、黒川夫人がおっしゃる通り「美しいところだけ、好きな人に見てもらう」ためで、すでに自分の死期が迫っていることを感じたからですね。

結核の死因としては激しい肺出血と喀血、それによって起こる窒息死が多いようです。その他合併症を引き起こすこともあるようですがとにかく結核の死に際は大変苦しむそうで、今のように緩和ケアもなかった時代ですから、そんな姿を見せずに一人闘い死んでいったのではないかと推測されます。

菜穂子の死に目に二郎は会えたのか?

菜穂子の亡くなったタイミングはおそらく、映画の最後、飛行機のテスト飛行をしている最中です。

風が吹いて二郎がハッとして何かを感じ取るシーンがありますよね。

そのときに二郎が何を感じたかは分かりませんが、おそらく虫の知らせで菜穂子が息を止めてしまったのではないかと思います。

そのため二郎は菜穂子の死に目にも会えなかったと思います。

もっと言えば、山に帰った菜穂子に会いにいくこともなかったのではないでしょうか。

二郎が忙しかったとはいえ薄情な気もしますが、きっとそれを菜穂子は望んでいたし、そういう女性であることを二郎も理解していたからこのような結末になったのかなと思います。

「生きて」と伝えた菜穂子は二郎の夢?

ここからがややこしいのですが、場面が変わり、二郎は航空機の残骸の中を歩いています。

実はこれは二郎の夢の中です。

作品の中で二郎が尊敬するカプローニが何度か出てきますが、彼が出てくるときというのは二郎の夢の中なんですよね。

ですのでラストのシーンは二郎の夢の中で終わりを迎えます。

ここで菜穂子が出てきて「生きて」というので、あれ?菜穂子はどうなった?と思うのですが、現実では死んでしまった菜穂子が、残された二郎に夢の中で会いに来て最後のお別れをしたということですね。

カプローニの最後のセリフの意味は?国を滅ぼしたとはどこの国?

ラストのセリフ「生きて」は「来て」だった?

これを知るとまた難しくなってくるのですが、菜穂子の「生きて」はもともと「来て」だったそうです。

となるとさっきの結末は二郎の夢説がおかしくなってきますよね?

実は飛行機の残骸を歩くシーン、ここからは煉獄という設定だったそうです。

煉獄とは天国と地獄の間を指すものです。

このように考えると、カプローニのセリフも実にしっくりきてしまいます!!

この場所について地獄かと思ったという二郎に「似たようなものだな」と返すカプローニ。

まさに天国と地獄の狭間だからと言えますよね!

さらに菜穂子のことをずっとここで待っていた人物として紹介します。

菜穂子はもう死んでいる、そして「来て」だとすると、天国へのお迎えの言葉ととれますね。

カプローニの「国を滅ぼした」とはどこの国?

カプローニと二郎は会話を続けます。

その中でカプローニは「君の10年はどうだったかね」と二郎に尋ねます。

二郎は「力は尽くしました。終わりはズタズタでしたが」と答えるとカプローゼは「国を滅ぼしたんだからなぁ…」と返しますね。

この国とは「日本」のことです!

周知の通り、日本は敗戦し、二郎が作った零戦は戦争末期において特攻隊の乗る飛行機にもなり、一機も戻ってくることはなくなってしまいました。

二郎は美しい飛行機を作りたいという一心でしたが結果的にはそれは戦争に加担してしまったことになります。

そしてたくさんの命が失われました。

そのことに対してカプローニは「国を一つ滅ぼしたんだからな」と放ったのだと思います。

堀越二郎は死んだのか?

最後のシーンを煉獄として見るならば二郎は死んだということになります。

ただそうなると菜穂子はなぜ「生きて」なのか、そしてカプローニの最後のセリフ「君は生きねばならん・その前に、寄っていかないか?いいワインがあるんだ」の意味が気になりますよね。

本来は死んでしまって、菜穂子が迎えにきて「来て」と言うストーリーだったかもしれませんが、映画の結末ではそうではないですよね。

二郎は夢を見ていた、そして「生きて」というメッセージを受け取る。

ここには自分が作った飛行機による悲しい現実に罪悪感を抱える二郎に対して、それでも生きていいんだよ、とうメッセージや、どんなつらい状況にあっても生きなければいけないという気持ちが込められているのではないでしょうか。

この映画のキャッチコピーは「生きねば」ですし、この生きての変更やカプローニのセリフは制作段階で付け加えられたそうです。

制作時、日本は東日本大震災という未曽有の災害により多数の命が失われ、未来に希望など持てず絶望の淵に立たされる人がたくさんいました。

そんな状況もあってこのように変更されたのではと言われています。

映画冒頭のフランス語「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」、「風立ちぬ、いざ生きめやも」には風が立った。生きられまい、いや、そんなことはない、生きようじゃないかというような意味があるそうです。(誤訳ともいわれていますが・・・)

カプローニがワインに誘うのは、つらくて生きるのが苦しくても生きなければいけない、でも気負うことはないんだ、遠回りしてもいいということを伝えたいのではないかなと思います。

というわけで、二郎は当初のままだと死んでいるが映画においてはこれからも生きていくのではないかと思います。

まとめ

風立ちぬのラストの意味やカプローニのセリフについてまとめてみました。

・菜穂子は死んでいて死因は窒息死

・ラストシーンは二郎の夢だが当初は煉獄の設定だった

・国を滅ぼしたの国は「日本」

最後までお読みいただきありがとうございました!

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